【北アルプス】残雪期燕岳を登る
2021/5/4
ゴールデンウィーク終了間近に北アルプスの女王、燕岳に登りました。
GWが始まってから雪が降り続け、夏山の様相を呈しはじめていた燕山荘から燕岳山頂への稜線が瞬く間に雪山へと変貌を遂げた。
そんな雪が止み、穏やかな天気の中燕岳に登りました。
荒れた天気から回復し、気温が上がる日は雪崩が発生しやすいというのはアルピニストの常識である。
そこで、比較的雪崩が起きにくい燕岳を選んだ。
GW中には荒れた天気の中山行を決行し、多くの方が命を失った。
ご冥福をお祈りするとともに、私自身は危険を冒すような登山はやめようと誓った。
命とゴミは山に捨ててはいけない。
登山当日は5時過ぎに中房温泉駐車場に到着。
中房温泉駐車場はもちろん、登山用の第一〜第三駐車場まで満車だった。
GW中、天候の回復を今か今かと待ち望んでいたアルピニストたちが押し寄せてきたのだろうか。
我々は中房温泉より1.5kmほど下った路肩に駐車し、登山スタート。
登山開始地点の標高は約1300mだった。
ここから約1500m標高を上げる必要がある。
山頂までの距離は約5kmなのでなかなかの斜度である。
燕岳のルートとしては
第一ベンチ→第二ベンチ→第三ベンチ→合戦小屋→燕山荘→燕岳山頂
となっており、当日は第二ベンチあたりから雪道になっていた。
合戦小屋を越えるまではひたすら樹林帯を歩く。
昨日までに降り積もった新雪が美しい。
所々開けている場所から雪を纏った蝶ヶ岳、大天井あたりの山々が顔を覗かせている。
合戦小屋をすぎると急登が続く。
多くの登山者は合戦小屋で休憩を挟んだ後に登りだすが故に急登がより辛く感じる。
我々も例外ではなかった。
辛くもあるが、一面銀世界、遠くには槍ヶ岳の槍の穂先が見えているので気持ち良い稜線歩きだ。
少し歩くと、燕山荘が見えてきた。
今年は100周年。
100年も前から同じように山を登り、小屋が稼働していたと考えると感慨深い。
尾根道は風が強く、火照っていた体が急激に冷えるのを感じる。
それでも風速は10mそこそこ。
3000m級の山々の稜線にしては弱いほうである。
雪山で30mも吹いたら私には耐えられないだろう。
そして、燕山荘に到着。
沢山の人で賑わっている。
我々と同じように日帰りピストン山行を行う者、前日から山小屋泊をしてるいる者、はたまた強風の中雪で壁を作りテント泊をしている猛者。
標高2700mで見る人々の笑顔はコロナ禍だということを忘れさせる。
おにぎりを一つ食べ、燕岳山頂へと向かう。
最近は専らセブンの海老マヨを好んで食べている。
山で食べる海老マヨはうまさ3倍である。
燕山荘から山頂までの稜線は見知らぬハイカーたちとワイワイ進む。
天気が良いというだけで人は笑顔になる。
すれ違う人たちと「最高っすね!」
と言葉を交わす。
後ろを歩く女の子には
「そこ映えますね!写真撮りましょうか?」
と声をかけられる。
きっと、その子も私も下界で見知らぬ人に声なんてかけられないはずなのに。
人を高揚させる力が山や太陽にはある。
前日に死者を出した槍ヶ岳が堂々と聳え立っている。
美しさと恐怖は表裏一体だと再認識する。
そんな槍ヶ岳と燕岳名物のイルカ岩のツーショット。
山頂で360度の大パノラマを堪能し、燕山荘に戻ると、ブラック肉を家庭用フライパンで焼いている猛者に出会う。
会話をしながら我々はカップ麺を食して下山。
彼はよく丹沢に現れるらしいのでまた会う気がしている。
やはり私は登りより下りが嫌いだ。
頂上を目指して歩く方が楽しいに決まっているが、そんなこと抜きにして下山が嫌いだ。
単純に視覚情報として高度感がより一層伝わり、怖い。滑って転んだら死ぬかもしれない。その恐怖により精神的に疲れてしまうのだ。
1,2度転びながら無事下山。
今日も生きて帰れた。
生の悦びを感じる。
あまりにも美しい川が硫黄の匂いと共に我々の下山を祝う。
車に乗り、帰路に着くと今度は猿がお見送りにきてくれた。
そして標高をぐんぐんと下げていき、穂高駅周辺まで下りると田園風景が広がっている。
残雪期にしか撮れない、水を張った田植え前の田んぼにうつる雪山。
こんなところに住みたい。というか本気で移住を検討したい。
というのもこの美しい水面鏡をみた帰り道、6時間もかかっている。
日本アルプス各所や八ヶ岳へ1時間程度で着けるところに住みたいな〜〜〜〜〜〜